2007年10月12日

No.4 愛人に殺された呪われた歌手 阿久悠が封印したこの一曲!


『さだめのように川は流れる』
杏(きょう)真理子


前編

『さだめのように川は流れる』
杏(きょう)真理子


気怠いブルース演歌とでも言うのだろうか、ドメスティック演歌と洋楽の合体、いわゆる歌謡曲好きのツボを押さえた楽曲は、なかなかイカす。杏の太いがやや鼻にかかった声も唯一無比でなかなかよろすい。


亡くなった阿久悠は5000曲もの作詞を手がけたというが、当然、すべてがヒットしたわけではない。埋もれた傑作も多い。本人の著書『なぜか売れなかったが愛しい歌』にも登場するのが、この
『さだめのように川は流れる』だ。



杏真理子は青森県三沢市出身。
三沢市は米軍三沢基地があることから、ハーフが多いが、彼女もそうであったようである(プロフィールでは紹介されていない)。そんなルックスと声質が買われたのか、コロムビアから歌手デビューし、何枚かのシングルと1枚のアルバムを出した。ヒット曲はなかった。


ただ、
夜放送(TBSパックインミュージック)で、一部に評判となったのが同曲であった。しかも、その曲がかかっていた1970年代半ばは、既に、

杏はこの世の人ではなかった。

posted by チャンネルナックルズ at 20:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
アメリカ在住です。
杏真理子さんがタネヨシ・ミギタ(たぶんこの日本名)に殺害されたのは、1981年11月頃のようです。

おぼろげな私の記憶ではタネヨシ・ミギタ(英名がジョゼフ・何とかだったような)は、アメリカ生まれの白人で、たしか白人の母親が日本人の大学教授のような男性と結婚して、一緒に来日して日本で育った男だったと思います。
タネヨシ・ミギタは白人といっても、日本育ちなので英語が苦手で、サンフランシスコだかロスアンジェレスの日本街によく出入りしていて、日本人相手に生活していたという記事をアメリカの邦字紙で読んだ記憶があります。そして杏真理子さんから借りたお金の催促をされて、かっとなって殺してしまったという内容だったと思います。

詳しい事を知りたい人は、1981年11月頃の羅府新報(ロスアンジェレスの邦字紙)を調べればもっとよく分かると思います。

私が子供の頃に杏真理子さんがデビュー(1970年前後)しました。当時ハーフの顔で、暗い演歌調の歌を歌っていました。

アメリカに来て間もなく杏真理子さんが殺害された記事が羅府新報に出ていたので、とても印象に残っています。
でもあまりにも昔の話なので、今では私の記憶がはっきりしていません。何かのお役に立てば嬉しいです。
Posted by LA at 2010年05月11日 20:05
私は大昔に杏真理子さんを実際に見たことがあります。大阪にあるピーコックストアーというところの特設舞台で歌を歌いにいらしてました。舞台から降りて歩いているところを間近に見ましたが、細身で色白のハーフで美人でしたが、どことなく暗い雰囲気が漂っていました。当時流行りのツバヒロ帽子を被り、ロングスカートでした。関係者といっしょにすぐ前にあるお寿司やさんに入っていきました。アメリカで殺されたと新聞で読んだときは驚きましたが、とにかく美しさと暗さが印象に残っています。
Posted by at 2012年12月15日 03:46
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。